「もう思い残すことはない」 の重み

様々な理由で外出や移動に困っている方がいます。どのような移動手段があるのか、どこに相談したら良いのかわからないまま、外出自体をあきらめてしまっている方が多いということを知りました。

 

例えば働き盛りの息子がいる。しかし外出のたびに仕事を休んで送迎や付添いをさせるのは忍びないので、できるだけ外出を我慢して家にこもっている。

 

私が介護タクシーを始めて目にしたのは、通院・転院といった、言わば「どうしてもしなくてはならない事」でのご利用が、実に9割以上を占めているという実態でした。

言わば、我慢することが出来ない領域です。

 

一方、例えば温泉旅行であったり、趣味であったり、同窓会であったり、そういった事は、我慢すれば我慢できる領域だといえるのではないでしょうか。

 

しかしこの、我慢すればできることが、実は人生において一番大切な部分ではないでしょうか。

 

今、私は自由にどこへでも行くことができます。しかし10年後、20年後、いやもしかしたら明日はそうではなくなるかもしれません。

そうなったとき、様々な理由から、行きたいところがあっても我慢しなくてはならなくなるのでしょうか。

 

人生において、日常を離れ、知らない土地へ行き、そこに住む人とふれあい、おいしい料理を食べ、きれいな景色を見る。こんなに楽しいことはないのではないでしょうか。

同窓会だって、今年が最後になるかもしれない。だけど家族に迷惑はかけられないから、行きたいとは言えない・・・

 

ここで今日お会いした訪問介護事業所M園のケアマネージャーI様のお話を紹介します。

過去に関わった利用者様は敬虔なクリスチャンでしたが、介助なしでは毎週の教会通いが出来ない状況に陥りました。

「教会へ行く」とか、「旅行に行く」といった要件では、残念ながら介護保険は適用外です。

この思いに「自費」という形ではありましたが、お応えしたI様がそのご利用者様から頂いた言葉が、「もう思い残すことはない」

だったのだそうです。

 

私はそれを聞いて涙の出るような思いをしました。

自分におきかえてみると、「もう思い残すことはない」という言葉は、なかなか出るものではないと思います。

 

たかが宗教と思う方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、その方にとって、宗教は、宗教という言葉では言い表せないほど、大きな意味をもっていたのだと思います。人生そのものともいえるほどの意味をもっていたのでしょう。

 

人間、若いうちは希望に満ち溢れ、なんだってできるし自信もある。しかし歳を重ねると、心身ともに弱くなる自分と向き合わなくてはならない。人様に迷惑をかけ、愛する人だってだんだんいなくなり、自分もそのうちいなくなってしまう・・・

 

そんな時、普遍的な存在に身も心もゆだねることができれば、心置きなく終末への準備ができるのではないでしょうか。

それがキリスト様でも仏様でもいいでしょう。

 

「もう思い残すことはない」

 

その短いフレーズには、万感の想いが詰まっているのだと思います。

介護職に関わる者として、これほどありがたい言葉はないのではないでしょうか。

 

こんな言葉を頂けるような介護職を目指し、日々ご利用者様と接して行きたいと思いました。

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(マリア像 長崎市・カトリック黒崎教会にて撮影)

 

石川たかひろ

 

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